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ゴーシェ病患者さんのご家族のお話⑩ Ⅱ型
1歳でゴーシェ病Ⅱ型と診断された息子も、もうすぐ10歳の誕生日を迎えます。
いつも息子から勇気と笑顔をもらっている私たち家族はとっても幸せです。
1歳でゴーシェ病Ⅱ型と診断された息子も、もうすぐ10歳の誕生日を迎えます。
いつも息子から勇気と笑顔をもらっている私たち家族はとっても幸せです。
「日本ゴーシェ病の会」会員
「お母さんのお子さん」
長女(看護師)
長男(社会人)
次女(中学生)
三女(小学生)
次男(9歳):1歳直前にゴーシェ病(Ⅱ型)と診断
5人の子供の末っ子がゴーシェ病Ⅱ型と診断
私には5人の子供がおり、5人目の子供がゴーシェ病です。生後7ヵ月の乳児健診で、まだお座りができないことから総合病院で検査を受けることを勧められましたが、その時は何も異常は見つかりませんでした。その後、インフルエンザに感染した時に、もう一度総合病院を受診したところ、肝臓の数値に異常があり、レントゲン検査で肝臓や脾臓が大きいことが分かったのです。振り返ってみると、私の母が息子をお風呂に入れてくれた時に「お腹が大きいね」と言われたことがあったのですが、ちょうどミルクをあげた後だったので、「のみすぎかな」と話していました。もしかすると何かあったのかなと思います。インフルエンザが治った後、大学病院で精密検査を受けるために生後10ヵ月で入院し、1歳の誕生日も近づいたクリスマス前にゴーシェ病Ⅱ型と診断されました。先生から、「2歳までしか生きられない」と言われたことが頭に残りました。普通の子と全く変わりなくいつも笑っている、とっても愛らしく大好きな息子が、本当にそんな重い病気にかかっているのかととても驚き、「治療法があるというのに、なぜ余命が2年なんだろう」と思いました。それからの2年は立ち直れませんでした。そして、「とにかく死んでほしくない」という思いでした。
大学病院から治療と教育ができる施設での日々
治療を開始するのは早い方がいいとのことで、診断された大学病院へ通院して酵素補充療法を始めました。自宅で離乳食を始めた時は、できるだけ飲み込みやすいように工夫していましたが、病院から教えていただいた液状栄養食を鼻からのチューブで摂取し、栄養を補っていました。また、風邪をひきやすく、泣いたりすると呼吸も苦しいようで、チアノーゼ※1がでてしまうため、いつも息子を抱っこして、できるだけ泣かせないようにしていました。自宅でしばらく呼吸が止まってしまったのをきっかけに、気管切開※2と胃瘻※3の手術をすることに決めました。息子は入院したまま1歳を迎え、3ヵ月で退院したのですが、帰宅できる状況ではなかったため、治療と教育ができる施設に入れてもらうことになり、酵素補充療法もそこで受けることになりました。施設の体制が変わるまでの約7年間、夜間も含めて私か私の母のどちらかが必ず、息子のそばに付き添っていました。上の4人の姉兄との時間もありましたので、夕方には一旦帰宅して夕飯を食べさせてから、また施設に戻るという日々でした。施設では、体調の悪化を防ぐため、少し神経質なほど、ウイルスなどの感染にはいつも注意していました。また、気管を切開したところに肉芽※4ができたために2回ほど大学病院で切除してもらい、数年前からは人工呼吸器をつけるようになりました。息子は現在、肝機能の数値は正常範囲内に入ってきましたが、眼は少し白く濁っていて、体は思うように動かせない状態です。私が声をかけるととっても愛らしく笑ってくれ、手を握ると反応してくれます。施設体制の変更に伴い、現在は夜間の付き添いができなくなりましたので、仕事を終え、私の母と交代するお昼過ぎから20時までが私と息子との時間です。とにかく息子が可愛くて大好きなので、面会時間のぎりぎりまで一緒にいます。振り返ってみても、これまでの毎日は大変だと思ったことはありません。
※1 チアノーゼ:呼吸困難で血液中の酸素が欠乏するなどして皮膚が青紫色になっている状態です。
※2 気管切開(きかんせっかい):呼吸を維持させるためなどに、気管とその上部の皮膚を切り開き、管を挿入して気道を確保する方法です。
※3 胃瘻(いろう):口からではなく、直接、胃に栄養を入れるために、お腹に作られた入り口のことです。
※4 肉芽(にくげ):傷ついた組織が修復される際にできる新しい組織のことです。
子どもたちとも支え合いながら
上の子どもたちにはずいぶんと寂しい思いをさせてしまい、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいですが、子どもたちは全員で話し合いをして、「お母さんが施設に行って、弟の世話をしてくれているからいいんだよ。お母さんが弟のところに行かなくなったら、お母さんについていけない」と言ってくれました。いろいろな感情の葛藤があったと思いますが、それでもみんながそれなりに理解してくれていたのかなと思います。最近は、夜間の付き添いがなくなったため、施設から帰宅すると、娘にねだられて近くのショッピングセンターに一緒に行くこともあり、次女や三女との時間も前より持てるようになってきました。それでもちゃんと寝ているか、息子のことがどうしても気になって、外出先からも施設に連絡をして看護師さんに様子を確かめてしまう日々です。息子がゴーシェ病と分かった当時にはまだ中学生だった長女は、今は遠方ですが、進路を変えて看護師になってくれています。長男は社会人になり、息子のために色々なものを買って、会社帰りに届けてくれます。学校に通っている次女と三女も、週末には一緒に施設に行きます。家族みんなで息子を支えるような状況に変わってきていることも嬉しいです。あの子たちが姉兄で本当によかったと、心から思っています。
まわりからの大きな支え
大学病院に入院していたときに同じ部屋だったお子さんの親御さんや今の施設のお子さんのお母さん、学校のお友達のお母さんたちとも深いおつき合いをさせていただいていますが、ゴーシェ病のお子さんがいるお母さんの存在にも、とても助けられました。ゴーシェ病のお子さんのお母さんは、ゴーシェ病について調べている中で患者会にたどり着き、知り合いました。ゴーシェ病について、自分が寄り添い、悩みを相談できる人は近くにはいなかったため、いろいろと教えてもらい、また慰めてももらいました。電話口でいつも泣いていたため、「すぐに飛んで行って抱きしめてあげたい」と言ってもらった時には本当にさらに涙が出ました。患者会の会長さんにも「助け合っていこう」と言っていただき、治療や息子の状態について相談させていただいたりもしました。
患者会は、2015年に「日本ゴーシェ病の会」と名前を変えて活動の範囲を広げており、私も年に1回の勉強会に参加させていただいています。そこでたくさんのお母さんたちと出会うことができ、人の温かさを実感しています。病気は決していいことではありませんが、病気があったからこそ学べたこともたくさんあったと思え、気持ちが軽くなれました。今はSNSで簡単に情報交換できるようにもなり、とても助かっています。
家でみんなで川の字になって寝たい
息子は、当初2年と言われていた命ですが、みなさまに支えられてもうすぐ10歳を迎えることができます。息子とのコミュニケーションで、親の愛情はやはりとても大事だということも、責任をもって実感しています。私が行くと嬉しそうにしてくれ、声をかけるとまだ笑顔があるので、この笑顔を絶対に絶やさないよう、毎日声をかけて、手を握って、歌を歌ってあげて過ごしています。一時私が体調を崩してしまったこともあるので、あまり心配しすぎたり無理をしすぎたりせずに毎日を大切に、息子と楽しくずっと一緒にいたいという気持ちは変わりません。数年前までは、とにかくこの病気がどうにかならないかなと思っていましたが、最近、私たちは障害児を育てているのではなく、普通に子育てをしているのだと考えられるようになってきました。先生や看護師さんにサポートいただきながら、息子とお散歩に出たり、特別支援学校の行事に参加したりしています。今年の夏には、夢のひとつだった家族みんなで花火大会を観ることも叶いました。家族は川の字より多いですが、みんなで川の字になって寝るのも夢です。いつか自宅で息子と一緒に暮らしたいとも思っており、在宅をされているお宅に行かせてもらったり、予行練習でお泊りさせてもらったりもしています。