
「多発性骨髄腫と歩んできた私たちの道のりと今」他の患者さんを見る
交通事故による頸椎損傷で車椅子生活を送る中、2011年61歳のとき、血液検査で多発性骨髄腫の疑い。確定診断後、より専門的に診てくれる病院への転院を勧められ、1年後に治療を開始。薬物療法を約1年半実施して、現在は寛解の状態で経過観察中。
車椅子生活を送る中、胃の不調で内科を受診し多発性骨髄腫と診断
2002年に交通事故で頸椎を損傷して以来、車椅子で生活しています。当時は、小学校の給食室で調理の仕事をしていて、余暇には社交ダンスや卓球を楽しんでいました。車椅子になってからも、リハビリテーションと思って車椅子でダンスや卓球を続けていて、車椅子卓球では国体にも出場しました。
事故の影響で、常に疼痛やしびれがあるため、多発性骨髄腫の症状である骨の痛みやしびれは感じにくいのですが、2009年頃から顔色がおかしい、黄色っぽいと感じていて、その頃から何かおかしかったのかもしれません。ただ、周囲の人に気づかれる程の変化ではなかったようです。
2011年、61歳のときに胃の調子が悪くなり、通院していたリハビリテーション科の先生に相談して、同じ病院の内科を受診しました。運よく血液が専門の先生に診ていただけて、胃の症状のほか、血液検査のたびに総タンパクの値がどんどん上がっていることを話したら、血液検査と骨髄穿刺をして多発性骨髄腫と診断を受けました。病名を聞いても全く知らない病気だったので、特に何も感じず、深刻に受け止めていませんでした(図中❶)。
治療に備えて転院するが、経過を観察することに
多発性骨髄腫とわかって、より専門的に治療できる病院への転院を勧められ、転院先で病気について説明してもらいました。完治しない病気なので、治療して再発したらまた治療、そうやって何回でもその都度治療を行っていくというお話でした。説明は夫と一緒に聞いたのですが、夫も病気の知識はなく、二人とも「そうですか」という受け止め方でした。それでも、当時は車椅子で家の中を自由に動けてダンスや卓球もできるけど、この先も同じ生活ができるのか、寝たきりになったらどうしようという不安はありました(図中❷)。
診断当時、IgGの値がそこまで高くないこともあり、また私自身も常に痛みやしびれがある状態に慣れていて生活に特に変わりはなかったので、早く治療を始めたいとは思わず、経過観察をすることになりました(図中❸)。
最初は先生とのコミュニケーションが取りにくいと感じていましたが、今思うと、私に知識がないので、先生のお話が理解できなかったのだと思います。
がん患者団体との出会いとセカンドオピニオン
最初の病院でも転院先でも、がん患者団体があるということを教えてくれたので、相談窓口に電話して入会しました。がん患者団体は、セミナーや情報誌でいろいろなことを教えてくれるだけでなく、同じ病気の方とお会いしてお話しできたり励まされたり、本当に頼りになる存在です。
そこで、主治医とうまくコミュニケーションできないことを相談したら、セカンドオピニオンを受けてみてはと勧められ、同じ病院内の、多発性骨髄腫を専門とする先生を紹介してもらいました。また、その時点では私に病気の知識がなかったので、セカンドオピニオンに臨む前に多発性骨髄腫について、ある程度勉強して理解するように言われ、その先生の講演のDVDをお借りして勉強しました。
その先生は、私の主治医のことを「治療に間違いのない、しっかりしたいい先生だよ」「わからないことは何回でも聞いてください」と言ってくださいました。また、治療前に歯の治療を済ませておくとよいと教えてくれました。私の頸椎損傷の痛みやしびれについても親身に聞いてくださり、しびれがある場合の治療薬の選択、歯の治療のこと、胃の治療のことなどを主治医にも伝えてくださったので、安心しました。主治医の人柄についてもお聞きして、少し身近に感じられるようになりました。セカンドオピニオンを受けて本当によかったです。
ためらいながら治療をスタート、寛解へ
1年くらいで、徐々にIgG値が上がってきて治療開始を勧められました。その頃には、病気の知識も増えていて、自家造血幹細胞移植(以下、自家移植)をするとしたら化学療法でいったん免疫力が落ちることを知り、クリーンルームでの生活に耐えられるだろうかと躊躇していました。それでも、先生に「いい加減に治療を始めましょう」と背中を押されて、2012年、62歳のときに治療を始めました(図中❹)。
入院して最初は自家移植の準備段階ということで点滴による化学療法を受けました。点滴が入りにくかったことが原因かわかりませんが1サイクルで終わり、その後は、飲み薬を組み合わせた通院治療に変更になりました。頸椎損傷によるしびれや痛みに配慮して、負担の少ない治療薬を選んでくれたのだと思います。入院生活は車椅子でも何の不自由もなく、病棟も新しくてきれいで恵まれた環境でしたが、通院治療に切り替わって家に帰ることができてホッとしました(図中❺)。
飲み薬の治療を約1年間13サイクル実施した後、薬を徐々に減らして治療を続けていましたが、5サイクルが終わったところで主治医に薬を止めたいと申し出ました。先生は、私の希望を尊重してくれて服薬を中止しました。治療中に足がむくんでくつがはけなくなったり、顔がむくんだりすることは「治療中なので仕方ない」と受け止めていましたが、毎日、薬を飲むことが負担だったので、すごく気持ちが楽になりました(図中❻)。それ以来、寛解の状態が続いています。
寛解後の通院と再発の不安
現在は血液検査のため2か月に1回通院しています。自分の状態がわかるので安心で、ありがたく思います。
私のように頸椎損傷があると骨密度が下がりやすく骨粗鬆症の診断も受けているのと、多発性骨髄腫でも骨がもろくなるので、2014年、64歳のときに骨吸収抑制薬の点滴治療を受けました。しかし歯とあごが痛くなり1回だけで止めました。数か月して、先生から「また、やってみたらどう?」と言われ、今度は4回治療したのですが、やはり歯が痛くなって止めました(図中❼)。今は、骨粗鬆症の治療としてビタミンDとK、カルシウム剤を飲んでいます。
通院を続けていると、10年20年寛解が続いていた患者さんが再発して治療を受けていると聞くことがあり、不安になることもあります(図中❽)。ただ、先生が「今は新薬がいっぱい出ていて、再発してもいろいろな薬の中から選べるので心配しなくていいよ」と言ってくださるので、そう思うようにしています。
心強い、同じ病気の患者さんとの交流
がん患者団体や病院の待合室で知り合った同じ病気の患者さんからは、症状・薬の副作用・新薬について教えてもらったり、情報もたくさんいただきましたが、何よりも皆さんとの交流に助けられてきました。
そのようにして知り合った方々と、病歴20年の横綱の方がいる、病歴十数年のあなたはまだ小結などという会話もして、「私たちもいい状態で横綱を目指そうね」と励まし合っています。同じ病気の方との触れ合いや繋がりは一番心強かったし、大切だと思います。
新たに多発性骨髄腫と診断された患者さんへのメッセージ
先生から聞いたお話ですが、「同じ多発性骨髄腫でも一人一人違いがあり、同じ薬でも使う量や期間によって効果が違う。薬を組み合わせて使うことで効果が出ることもあり、その組み合わせは数えきれないぐらいある。さらに新薬もどんどん承認されている」ということをお伝えしたいです。
また、病気のことを知らないと、先生が一生懸命に説明してくださっても理解できません。それに応えるには、やはり病気に関する知識が必要だと思います。
今後は?
多発性骨髄腫と診断されてから10年が経ち70歳を超えました。先生に「高齢になると誰でも必ず身体の中に小さながんはある。皆さん小さいがんを持ったまま終わることも多いから」と言われて、確かにそのとおりだな、そうなれたらいいなと思っています。私もいい状態を保って好きな車椅子卓球やダンスがいつまでもできるように頑張ろうと思います。