患者さん・ご家族の声
cTTPと診断された患者さん・患者さんご家族のライフヒストリーを紹介します
本記事は、cTTPについて実際の患者さんご家族の体験談を紹介しています。特定の患者さんご家族の体験を紹介したものであり、典型的な体験を紹介するものではありません。気になる症状や医学的な懸念がある場合、また、適切な診断と治療を受けるためには医療機関を受診ください。
出生後すぐに新生児集中治療室
(NICU)に運ばれて
息子が生まれたのは今から20年以上前のことです。2人目の子どもということもあり、普通に生まれて当たり前と思っていました。ですので、まだ、抱いてもいないうちに微弱呼吸と重症黄疸等で院内の新生児集中治療室(NICU)に運ばれたと聞いた時には、崖から突き落とされたようでした。
血小板が少ないということはわかりましたが、何が原因なのかしばらく診断がつかず、希望の兆しが全く見えない状況が続きました。心配してくれる身内に尋ねられても答えることができず責められているようにさえ感じられて、「私のせいで息子を病気にしてしまった」とか「生んでしまって申し訳ない」とか、いろいろ考えては泣いてばかりいました。
小児科医がチームを組んで診断へ
そのような中で、出産した病院の小児科の先生方が、原因を突き止めるためにチームを組んで全力を尽くしてくださったことには、とても救われました。息子が生後5ヵ月の時、cTTPの疑いがあるのではないかということで、先生方がこの病気を研究しておられる先生の研究室に息子と家族全員の検体を送って遺伝子解析をお願いすることにつながりました。
当時、診断までの5ヵ月間というのは果てしなく長く感じられたものですが、この病気は非常にまれで、小児科の先生方の認知はまだまだだったようです。また、診断がつかなかったために早期に適切な治療が受けられなかった方もいらっしゃると聞いていたので、5ヵ月で診断が確定したのはとてもありがたいことで した。
診断がつくということの意義
遺伝子解析を経てcTTPと診断されたときには、正直、ほっとしました。これまで、さまざまな検査や治療を繰り返してきたので、明確な方針を立てて治療に臨めるようになったことで、気持ちが前向きになりました。診断名がつけば、cTTPについて色々と調べることもできて、専門用語の学びと担当医との共通言語が増えます。そうすることで、息子のQoLの向上とcTTPを生活の一部にする覚悟ができました。
息子の成長に伴う環境の変化への対応
5歳に成長した息子は幼稚園に通うことになったのですが、入園に際して病気の説明を求められたので「血小板が減っていく病気です」と伝えたところ、「ケガをさせたらいけないのでしょうか?」と過剰に心配されてしまいました。
血小板が減ってくるのは2週間に一度の通院日の2、3日前なので、必ず通園前に身体の状態を確認して症状があれば休ませること、園内でけがをした場合は状態を知らせていただきたいこと、何かあれば連絡してもらって問題ないことを伝えました。
保育士の皆さんが丁寧に対応してくださったおかげで、幼稚園では特に問題なく過ごせました。ベテランの保育士さんが受け持つクラスで手厚い保育をしていただいたように思います。
ただ、お友達とのお付き合いでは、「血液の病気」と聞いた親御さんから感染しないかと心配されたり、白血病と思われたりする誤解が生じたことがあり、そのたびに説明するのは難しく、稀な病気であることの大変さを感じました。
通院に当たって気を付けたこと、病院に配慮していただいたこと
通院日には、自宅で尿検査キットを用いて尿潜血の検査をして血小板の下がり具合を予想しました。また、その検査結果を記録して担当医に伝えました。通院は2週間ごとでしたが、次回の通院予定日より何日も前に尿潜血がプラスになった時には、電話して通院予定日ではない日に受診しました。今考えるとかなり過敏になっていたのですね。
それでも、病院のスタッフの方々はすぐに先生につないでくださり、快く受け入れてくださいました。生まれた時からずっと通院していることもあってか、先生方や看護師さんだけでなく、関係するすべてのスタッフの方が私たち家族に寄り添ってくださっていることが感じられて安心して治療に専念することができました。通院先には本当に恵まれていると思います。何か気になることがあった際は通院日ではない日に連絡してよいか、など不安な点は主治医の先生と予め相談してみるとよいかもしれません。
小学校に上がって
小学校では、幼稚園の時のような手厚い見守りはなくなりましたが、特段、大きな問題は起こりませんでした。小学校入学時と、2年生で転校した際には、通学が始まる前に病気について個人面談の機会が設けられました。2週間ごとの通院は続くので、そのたびに早退する必要があります。シングルマザーになった私はフルタイムの仕事を始めたので、通院の際は仕事を休むか、同居していた私の両親に学校へのお迎えと通院の付き添いをお願いしていました。
通院のたびに早退するのですから、親としては勉強が遅れてしまうのではないかと気になります。そこで、担任に相談したところ、通院する曜日の午後の授業を、体育など主要科目以外の科目にして、しかも学期ごとにその科目を変更してくださいました。「うちにはこういう事情があるのだから、こうしてほしい!」と押し付けるのではなく、コミュニケーションの積み重ねが良かったのかなと思います。
運動会や遠足、修学旅行などのイベントには、必ず参加できるように工夫しました。たとえば、学校から配布される「行事予定表」からイベントの予定をチェックして、血小板が減ると予測される日や通院日に重ならないように、担当医と相談して計画的に通院日を変更しました。このように、転居先の病院での手厚いサポート体制を積み重ねたことで、担当医が変わっても安定した治療を受けることができています。
環境の変化が、息子の本音を引き出すきっかけに
小学校2年生で転校して間もなくのこと、治療が辛いと息子に泣かれたことがありました。息子が弱音を吐いたのはこの時のみです。それまでの私は息子のことを実はちゃんと理解していなかったのかもしれないと気づかされました。新しい環境、新しい友達、新しい病院と何もかも変わり、ストレスがかかっていたのでしょう。
たくさんの変化は子どもにとって試練になります。ずっと抑えつけてきた感情を吐き出すきっかけとなりましたが、病気を持つ子どもが本音を言える“きっかけ”を見逃さないようにすることが大事なのかもしれません。
いじめへの対応
2週間に一度の通院は、いじめの原因になりかねませんでした。病気といっても外見は病気があるように見えないので、給食を食べた後は掃除もせず、授業も受けず早退することをクラスメイトが面白く思わないはずはありません。
担任の先生にこの状況を相談して、私からクラスメイトに宛てた手紙を書き、先生に読んでいただきました。手紙には息子がどんな病気でどんな治療が必要か、なぜ体育を休むのに空手教室には通っているのか。空手教室は、組手ではなく、形の習得と武道における礼儀作法を修練し、精神面を鍛えるために通っていることを伝える内容でした。それ以降、いじめは改善されたと記憶しています。
引っ越しに伴う転院時の対応
引っ越し先で受診する病院には、出産から息子を診ていただいていた病院の小児科担当医に紹介状を書いていただいて、病院と担当医は変わっても、8年間の治療内容を引き継いでくださったので、なんの支障もなく診ていただいています。
また、遺伝子診断をしていただいた先生に連絡して、担当医を紹介させていただきました。患者の家族がこのような行為をするのは躊躇うものですが、希少疾患の治療において万全の対策を講じておくことは大事だと思っています。何か問題が起これば、息子の命にかかわります。後悔することになったら誰もが悲しい思いをすると考えて、思い切って行動しました。
距離のあった中学・高校時代
息子が中学に入学してからの5~6年間は、仕事が忙しく、子どもたちも自分のことは自分でできるようになっていたこともあり、息子が何を考え、どういう学校生活を送っているか、手取り足取り注意することはありませんでした。「ゲームばかりやってないで勉強もしなさい」と小言を言う程度で、一般的な子育てと変わらないと思います。
息子が20歳になって親子で深い話ができるようになり、いじめにあった経験があること、学校での嫌な出来事からゲームに逃避していたこと、一方で、荷物を持ってくれるような親切な友人に恵まれたことなどを知りました。当時、息子とじっくり向き合えなかったことは、最大の後悔です。
小児科から血液内科に転科することへのためらい
現在、息子は小児科を受診しています。成人年齢なので血液内科に転科する時期について、息子と担当医の話し合いで決定していけばいいのですが、親としてはなかなか踏み切れません。希少疾患であるために血液内科であってもcTTPの専門医がいない場合の不安があります。“ガイドラインに記載されている治療をする”ことは至極当然ですが、緊急時に適切な処置と対応への不安があります。
また、治療は小児病棟で受けるのですが、小児病棟には思春期の女の子がいます。
“大きなお兄ちゃんの存在に抵抗があるのではないかな”と担当医に相談すると、「その点は気にしないでください」と言われました。
特技を活かして自立
息子は中学2年生の時に、「僕はサラリーマンにはなれない」と思ったそうです。最近になって、どうしてそう思ったのか聞いてみたら、私があまりにも忙しく働いているのを見て、この先も治療の必要な自分は母親と同じような働き方ができないと思ったからだということを話してくれました。母親の姿を見ながら、自分の将来を真剣に考えていたことに驚きました。
一般的な将来像を想像できない息子が、病気の制約を受けない仕事を模索してたどり着いた答えが“eスポーツ”でした。「将来はeスポーツ関連の仕事をしたい」と言われたときは猛反対しました。ゲームをしない私には、“ゲームをして仕事になるわけがない“と思えたのです。でも、息子のeスポーツの実績を見て、私の知らない間に積み上げてきた努力を知ったとき、”この子を全力で応援する!”という気持ちにスイッチが入りました。この時からeスポーツ啓発と支援を二人三脚で活動するようになりました。
周囲から親離れ・子離れしたほうがいいと言われそうですが、病気があっても本人が選んだ道を歩き、活躍する息子を応援することは何よりも幸せですし、とても楽しいことです。
兄弟への配慮
息子には2歳年上のきょうだいがいます。娘はcTTPではありません。息子が生まれてからというもの、私は息子にかかりきりだったので、娘にはずいぶんと寂しい思いをさせたと思います。親に甘えられない孤独を感じている娘と稀な病気であることの孤独を感じている息子の間には「孤独」という共通点があるせいか、二人はとても仲がよいため、私から偏った気配りをすることもなく、意外と子供たちの方が私より大人のようです。
cTTP患者さん、その親御さんにお伝えしたいこと
病気・障がいを持つことを“ギフト”と表現されるのを聞きます。受け止め次第で素敵な言葉ですが、cTTPをもつ患者にとっては非日常を日常とする毎日であり、今、その真っ只中にいるお子さんやその親御さんは、同年齢のお子さんたちから遅れを取ってしまうように悩ましく感じることもあるのではないかと思います。
そのような方々にお伝えできるのは、息子の成長を見守っていると、遅れを取るような優劣は全くなくなっているということです。「入退院を繰り返してきたけれど、そこでたくさんの人と出会ったこと、例えば、病院内学級の様子を知った経験は僕の強みだと思う」と息子は言っています。
私は病院のスタッフの皆さんとチームになって、息子の治療に取り組む最初の一歩から、「cTTP」というもうひとりの家族を育てているような充実感が得られていると感じています。
この経験が役に立つかどうか分かりませんが、cTTPを生活の一部にして乗り越えていただければと思います。“親子で信頼しあって治療に取り組む”といった理想的な毎日を維持するのは難しいことかもしれませんが、子どもと共に親も成長します。いつかきっと、お互いに本音で話せる時期が訪れると思いますので、お子さんが安心して過ごせるための適した治療を取り組んでいただきたいと思います。