先輩ママに聞く!うちの子育て

橋口亜希子さん インタビュー橋口亜希子さん インタビュー

幼児期に多動が目立った息子さんが小学校1年生のときにADHDと診断されています。トラブルを起こして学校に毎日呼ばれたり、保育園や学校の先生に怒られて落ち込んだりすることもあったそうです。橋口さんの体験を率直にお話しいただき、今、ADHDのお子さんの子育てに悩んでいるママたちにメッセージをお届けします。

インタビュー動画

  • 先輩ママに聞く!うちの子育て

    橋口亜希子さん インタビュー

    (全編 11:03)

  • 先輩ママに聞く!うちの子育て

    橋口亜希子さん インタビュー

    【1】「しつけが足りない? 〜気づき編〜 」(3:08)

  • 先輩ママに聞く!うちの子育て

    橋口亜希子さん インタビュー

    【2】「わかっているのに認められない 〜診断編~ 」(2:22)

  • 先輩ママに聞く!うちの子育て

    橋口亜希子さん インタビュー

    【3】「親の会に参加して 〜周囲の理解
    編〜 」、 「子育て中のママへのメッセージ」(5:04)

インタビュー記事

 私の努力が足りないのかな

息子が小さいころ公園に連れて行くようになると、自分の思うようにいかないときに友達に手が出てしまうこともあり、「乱暴な子」と言われるようになりました。2歳で保育園に入ってからもトラブルが絶えず、先生に注意される毎日で、ほかの子どもがおとなしくママと手をつないで帰る姿をうらやましく思っていました。育児書のような子育てができないことに、大きな挫折感がありました。

小学校に入学してからもトラブルは続き、授業中に教室を飛び出したり、掃除ロッカーに閉じこもったり、息子がトラブルを起こすたびに学校の先生から呼び出され、仕事どころではありませんでした。叱っても、叱っても、同じトラブルの繰り返しです。息子のトラブルが減らないのは、子育てに対する私の努力が足りないのかなとずっと思っていました。誰かに相談することもできず、自分を守るために、ほかの人を寄せ付けないよう心に鎧をまとって過ごしていました。

お母さん、本当に今までよく頑張りましたね

息子の面倒をよく見てくれていた小学校の保健室の先生が、「この子は挨拶もするし、いい子なんだけど、これだけ学校で問題を起こすということは何かあるのかもしれない」とADHDについて書いてある冊子をくれて、児童相談所に行くよう勧めてくれました。児童相談所から紹介された小児神経科へ行ったのは小学校1年生の8月でした。初診のとき、小児神経科の先生はまず息子に向かって、「よく僕のところに来てくれたね」と言ってくれました。そして私にも「お母さん、よく来てくれましたね。本当に今までよく頑張りましたね」と言ってくれました。そんなことを言われたのは初めてでしたから、驚くとともに、本当に救われました。時間をかけて診察してくださって、そこで先生に「おそらくADHDでしょう」と言われました。これまで一生懸命努力しても子育てがうまくいかなかったのも、ADHDのためとわかりました。一方で、障害という言葉に抵抗感もありました。事前にADHDについて調べて、当てはまる特性が多かったので、頭では確信していましたが、逆にADHDではないのではと抵抗する気持ちもありました。お母さん、本当に今までよく頑張りましたねそんな私に先生は、息子を守るためにはADHDの治療法や、周りの人が行う対処方法があるということを丁寧に説明してくれたので、私も徐々に受け入れることができました。
診断を受けて学校にADHDであることを伝えてからは、トラブルがあると校長先生が面倒を見てくれたり、隣のクラスの先生も協力してくれたりと、学校全体でサポートしてくれました。また、小児神経科の先生がADHDのある子どもを持つ親の会を紹介してくれたおかげで、同じ思いを持ち、私を理解してくださる方々に出会うこともできました。そこで初めて、自分のことをわかってくれる人に相談することができ、ずっとたったひとりで抱えてきた孤独感から解放されました。

 「手を引っ張る」から「見守る」立場に

橋口亜希子さんADHDの特性のために受験には苦労していましたが、本人の努力の甲斐あって、大学に合格することができました。大学で息子は臨床心理士を目指して心理学を勉強しています。長年お世話になった小児神経科の先生に対する感謝と尊敬の思いもあって、自分と同じように困っている子の力になってあげたいと思っているようです。息子も立派に成長してくれたと思います。

親として、ずっと息子の手を引っ張り続けないといけないと思っていました。しかし、息子自身、自分の特性に気づき、自分にできることを考え、誰かのためにできることを考えられるまでになりました。そのような息子の成長を目の当たりにし、親として息子の手を引っ張っていく立場から、見守る立場に変わっていきました。私が思う親としての支援は、子どもの成長とともに、どこかで手を引っ張ることをやめて、子どもが苦手なことを必要とされる分だけ手伝いながら、見守っていくことだと感じています。

 私の子どもに生まれてきてくれて、ありがとう

ADHDのある息子が夢に向かって努力できるまでに成長できてよかったと思っています。そんな息子を育てられたことがなにより幸せです。渦中にいるときはとても大変でしたが、息子を育てられなかったら、こんなにも深く人の痛みを理解できなかったでしょうし、私の世界は広がらなかったと思います。以前の私は、自分にはまともな子育てができない、母親失格だと自分を責めてばかりいました。しかし、それは間違いで、ADHDは子育てに問題があるから起こるのではありません。当時はつらいこともありましたが、息子を育てられたおかげで私の人生は豊かなものになりました。「私の子どもに生まれてきてくれて、本当にありがとう」と心から思っています。

  • 監修:一般社団法人 日本発達障害ネットワーク 理事長 市川 宏伸 先生
このページのトップへ

知って向き合うADHDはadhd-info.jpから本サイトへURLが変更になりました。

本サイトのご利用に関しましては、必ず利用規約をご確認ください。本サイトを引き続き閲覧いただく場合、利用規約に同意したものとみなさせていただきます。