武田薬品工業株式会社

PID患者さんとご家族へのインタビューへ

診断
PIDと診断されず、適切な治療を受けられない日々

幼少期から制約が多い生活を送り、生きる意味を見失いかけたこともあります。PIDの診断がつき、治療法があるといわれたときの喜びは今でも鮮明に覚えています。

嶋村 薫さん(60歳代)

原発性免疫不全症(PID)の病型は、分類不能型免疫不全症(CVID)

PIDと診断されず、適切な治療を受けられない日々

3歳のときに重症の肺炎にかかって以来、風邪をひくと必ず気管支炎になる、高熱を出すといった状態で、幼稚園に通えない日も多く、小学校に上がってからも体育はほとんど見学、雨に濡れてはいけない、あまり外で遊んではいけないという制約の多い子ども時代でした。休日に友人と外で遊ぶということがほとんどなかったせいか、家で本を読むことが好きで、内向的な性格でした。PIDと診断されたきっかけは、ほかの病気の治療中に、たまたま足に痛みを伴わない大きなあざが見つかり検査したことでした。血液検査でIgG値が低いことを指摘され、感染症には気をつけ、毎日十分休みを取り、なるべく家にいるように告げられましたが、当時はPIDとは診断されなかったため、適切な治療は受けられませんでした。家で安静にしているといっても限界があります。結局、体調を大きく崩したときに、ドクターストップがかかり、仕事を辞めざるを得なくなりました。

日常を取り戻すため、やりたいことを原動力に行動する

制限の多い中で生きていることに対して、意味があるのだろうかと考えるようになり、気分がとても落ち込みました。そんな中で生活を取り戻す原動力となったのは仕事です。私は大学時代に考古学を専攻しており、発掘調査に関わる仕事を天職であると思い、それが生きがいでもありました。どうにかして仕事に復帰したいという強い気持ちで、何か手段はないだろうかと調べるようになりました。旅行が好きだったのに、家族と旅行もできなかったことも、日常を取り戻したい気持ちを後押ししてくれました。

PIDの専門医が小児科医が多いことはあまり知られていない

私はセカンドオピニオンのテーマで新聞に記事を投稿したのですが、それがきっかけとなり、専門医の先生からアドバイスをいただき、PIDと正式に診断されました。アドバイスしていただいた専門医の先生は小児科の先生で、そのときに初めてこの病気の専門医は小児科医が多いことを知り、まさか小児科が専門の病気だったとはと驚きました。ようやく診断がついたときは、本当にほっとしました。そして、この疾患には治療法があり、日常生活に戻ることができると先生に言われて非常にうれしかったのを覚えています。

確定診断にたどりつくためにも勇気を持って発信することが大切

PIDは日常生活に支障があり不安が多い病気なので、なるべく早く確定診断にたどりつくことが大切ですが、小児科に専門医が多いことなどは一般にはあまり知られていないこともあり、なかなか難しいと思います。診断にたどりつくためには、できる限り発信をして、いろいろな人の協力を得ることが大切だと思います。診断にたどりつけば、治療が受けられて、生活が変わります。発信することは勇気がいることだと思いますが、私も発信したことをきっかけに、いろいろな人に助けていただき、結果として日常生活を取り戻し、世界が大きく変わりました。ぜひ声を上げていただきたいと思います。